VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その2

「博物館の発想は知人からだった」

弁護士の知人が家に来た時、時計達を見せたら数と質に驚き、これだけあるなら博物館を作ったらと言われ発想に驚いた。

 

そうか博物館に収集してきた時計達を展示したら、屋根裏に死んでいた時計達も日の目を見るし、島根の新たな観光資源として役に立てるかもしれない、頭の中は博物館建設に向けて思考回路が動き始めた。

 

人を呼べる程魅力ある時計達なのだろうか?建設費は?建設資金はどこから?建設場所は?建設後の維持管理は? 大まかな事が瞬時に頭の中をよぎっていった。

 

思考回路が止めろと言い出した、これは個人レベルで出来る事業ではない、どう考えても無理だ、建設は諦めた。

 

数か月後知人の弁護士から「安い物件が出ました、大きなビルで博物館にしてはどうでしょうか?」と声が掛かり、ビルの下見に行った。

 

場所は山陰の小京都と言われる城下町津和野町だった、津和野はかつて観光地として随分栄えた町で、ビルは当時レストランとして利用されていた、1階はお土産店、2階と3階は大型レストランで、神楽舞のステージが付き席数150のビックリするほど大きな建物だった。

 

 

これだけ大きな建物だったら展示スペースは十分ある、1、2階を改造して展示場にし、落ち着いてから3階の利用方法を考えようと思った、ビルは古く既に雨漏りが始まっていた、これは早く修繕しないと益々ひどくなる、早々修繕の見積もりを取る事にした、建設会社の方と一緒に何度も津和野に出掛け、修繕箇所の確認をしていった。

 

時間があると津和野まで何度も足を運び、店舗をどう改造しどうすれば魅力ある博物館になるかイメージしていった、数日後見積もりが出た、修繕費だけで2000万を超えた、屋根瓦が古く全部葺き替えた見積もりだった、雨漏りがしている場所だけやり替えた場合の見積もりをもう一度出してもらった、1200万まで下がった。

 

金額を聞いて一気にやる気が出て来た、これなら個人でも何とかなる、知人の弁護士に博物館建設に向け実行する旨を伝えた。

 

知人は動き始めてくれたが、ビルの持ち主は破産し持ち主は銀行に移っていた、話が一から差し戻しになっていた。

 

話し合いが長引けば雨漏りしているビルは益々劣化が進む、とうとう年を越した、博物館建設は頓挫し諦めムードが漂ってきた。

 

冬を越し、春が来た、もうビルはひどい事になっているだろう、諦めた。諦めた旨を知人と建設会社に告げた。


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