VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その4

誰にも理解してもらえない

 

誰にも理解してもらえないが、やはりこの子達を日の当たる場所に戻してやろうと思った、時計ビジネスで築いたお金を全て叩いても日の当たる場所を作ろう、それが時計への恩返しだと決意した。

 

決心してから苦悩が始まった、時計ミュージアムはビジネスではなく、後世に時計の歴史を残す事が目的で、儲かるか儲からないは別問題だった、しかし赤字が続けばいつかは閉館になってしまう。

銀行から建設資金を借りてしまうと、儲かる事業ではないので返済が滞るだろう、借金無しで建設すれば何とか維持が出来るかもしれない。

 

津和野と違って、土地の購入から建物の建設と膨大な資金が必要となる、資金は幾ら用意する事が出来るか、それによって規模が決まってくる。

貯蓄と広島に所有しているマンションビルや株の資産を計算していった、それらを売却した場合幾ら用意ができるのだろ、現実に計算をしていったら、ほとんどの資産をつぎ込まないとならない、そうすれば厳しい老後が待っている、止めた方が良いよともう一人の私が言い出した。

 

今まで経験してきた事業とは全く異なる、始めから手出し覚悟の事業になる事は目に見えている。

悩みに悩んだ、自分の老後を取るか、冷や飯を食べても時計達を、日の当たる場所に移してやるか。

止めろと言う私と、やれと言う私との戦いは毎日続いた。

時計達を引っ張り出しては眺め、お前たちどうしてもらいたいと問いかけた。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その3

VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その3

「すべて寄付するから塊りで残して!悲痛な叫び」

 

博物館建設は頓挫したがコラムは続けて書いていた、屋根裏から時計を出し1本書いては又戻していった。

 

段々悲しくなってきた、なぜこんなに買い集めたのだろう?他の人の所に行っていたらもっと使ってもらえたのに、私が買ったばかりにひどい扱いをしている、ひどい扱いをしている自分が嫌になってきたやは、やはりかしないと。

 

 

 

友人のロータリー会長の所に相談に行った、会長は顔が広く市長に相談に行ってくれたが、中々理解してもらえない、それもそうだ、アンティーク時計は市長とはいえ、博物館を作る程の魅力が無いと判断されるのだろう。

 

収集してきた時計達の為なら全て寄付するから、まとめて後世に残して欲しいと言ったが、お金なら受け取りますが、物はいらないと断られてしまった。

 

 

サブマリーナ一つをとっても、どの様に進化していったか、世界広しと言えど一か所で全てが分かる事はあり得ない、懐中時計から腕時計へと変わり、時代の変化と共に腕時計もどんどん進化していった、それが1か所で分かる。

 

珍しいアンティーク時計達は、どんどん市場から姿を消し価格もウナギ昇りで上がっている、収集家の手に渡ったら、2度と市場に出て来る事は無いだろう、写真では見る事が出来ても現物は見る事は出来ない、現物を見る事が出来るのも大きな魅力なはずだ、どんなに説明しても塊りである事の魅力は伝わらない。

 

この子達をどうしたらいいのだろう。アンティーク時計に興味がある人以外は、理解不能だった、どんなに説明しても無駄と悟った。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その2

「博物館の発想は知人からだった」

弁護士の知人が家に来た時、時計達を見せたら数と質に驚き、これだけあるなら博物館を作ったらと言われ発想に驚いた。

 

そうか博物館に収集してきた時計達を展示したら、屋根裏に死んでいた時計達も日の目を見るし、島根の新たな観光資源として役に立てるかもしれない、頭の中は博物館建設に向けて思考回路が動き始めた。

 

人を呼べる程魅力ある時計達なのだろうか?建設費は?建設資金はどこから?建設場所は?建設後の維持管理は? 大まかな事が瞬時に頭の中をよぎっていった。

 

思考回路が止めろと言い出した、これは個人レベルで出来る事業ではない、どう考えても無理だ、建設は諦めた。

 

数か月後知人の弁護士から「安い物件が出ました、大きなビルで博物館にしてはどうでしょうか?」と声が掛かり、ビルの下見に行った。

 

場所は山陰の小京都と言われる城下町津和野町だった、津和野はかつて観光地として随分栄えた町で、ビルは当時レストランとして利用されていた、1階はお土産店、2階と3階は大型レストランで、神楽舞のステージが付き席数150のビックリするほど大きな建物だった。

 

 

これだけ大きな建物だったら展示スペースは十分ある、1、2階を改造して展示場にし、落ち着いてから3階の利用方法を考えようと思った、ビルは古く既に雨漏りが始まっていた、これは早く修繕しないと益々ひどくなる、早々修繕の見積もりを取る事にした、建設会社の方と一緒に何度も津和野に出掛け、修繕箇所の確認をしていった。

 

時間があると津和野まで何度も足を運び、店舗をどう改造しどうすれば魅力ある博物館になるかイメージしていった、数日後見積もりが出た、修繕費だけで2000万を超えた、屋根瓦が古く全部葺き替えた見積もりだった、雨漏りがしている場所だけやり替えた場合の見積もりをもう一度出してもらった、1200万まで下がった。

 

金額を聞いて一気にやる気が出て来た、これなら個人でも何とかなる、知人の弁護士に博物館建設に向け実行する旨を伝えた。

 

知人は動き始めてくれたが、ビルの持ち主は破産し持ち主は銀行に移っていた、話が一から差し戻しになっていた。

 

話し合いが長引けば雨漏りしているビルは益々劣化が進む、とうとう年を越した、博物館建設は頓挫し諦めムードが漂ってきた。

 

冬を越し、春が来た、もうビルはひどい事になっているだろう、諦めた。諦めた旨を知人と建設会社に告げた。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか。その1

「可哀そうな時計達」

 

1981年、アメリカに渡り偶然出会ったアンティーク時計の魅力に惹かれ、アンティーク時計の収集を始めましたが、今と違いネットが無い時代で、誰も市場価格が分からず、売る方も買う方も随分大まかな売買をしていたのです。

 

 

ロレックスのサブマリーナだと、リューズガードが有るか無いかの判別だけけでした、ジェームスボンドやミラーダイヤル、テキシタルダイヤルなど細かな事は誰も気にしてなかったのです、ガード無しは型落ちでどれも同じ値段という今では考えられない時代でした、地方に行くとお爺さんが売れ残った50年代の箱付未使用品を、当時の定価で売っていたり、それが当たり前のおおらかな時代でした。

 

収集を始めた頃買った時計達の中に見た事が無い時計達は偽物だと思い、見るのも嫌で段ボール箱に入れていました、サブマリーナの表記が無いRef6205は、収集家から5本まとめてでないと売らないと言われ、この時計はいらないと断ったが、他の4本はケチのつけようのない見事な時計達だった、5本の値段が安かったのでまとめて購入しましたが、この時計は偽物として段ボール箱行きでした、チュードルの初期型手巻のサブマリーナは、ガラクタの中から見つけましたが、手巻のサブマリーナなどあり得ないと思い、部品取り用に購入しました。

 

コラムを書く様になって、長い間放置してきた時計達を1本1本調べ始めました、随分昔に買った時計達は長い間見る事もなく、ひどく懐かしかった。

この時計はフリーマーケットであの人から買った物だ、この時計は交渉に随分手間取った時計だなど、時計と共に昔の光景が目に浮かんできました。

 

 

思い出に浸りながら、コラムを書き終えた時計達は又屋根裏に戻した、可哀そうだと思った。もし収集を始めた80年代にネットが既にあったら、こんなに収集出来なかっただろう、知らず知らずの間に、これだけ質の良い時計達を沢山集めてしまった、屋根裏に戻しなら後悔し始めた、これらの時計達をどうしようか悩むようになりました。

続く

 

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アンティーク レディースロレックス 18金ホワイトゴールド ダイヤモンド付き コードバンド 60年代

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今回紹介するのは、60年代盛んに作られたロレックスのファション腕時計の一つです。

 

戦後の50年代~60年代に掛けて流行していたレディース腕時計は、通称南京虫と呼ばれていた小振りの時計でした。

 

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現代流行している大振りの腕時計と比べると、時計が自己主張する事無く、主人のセンスを陰からそっと支えてくれている気がします。

 

現代では動力が電池になり、電池が切れるまで何もしなくて動き続ける物や、腕にしているだけでネジを巻く、自動巻き機能が付いた物が主流で手が掛かりません。

しかし、ひと昔前の腕時計は機械式の手巻きが主流で、自分でネジを巻かなくては動きません、面倒ですがそれも又楽しみの一つです。

 

 

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このようなダイヤモンドを散りばめた豪華な腕時計は、現代では手間が掛かり過ぎコストが合わない為、アンティーク腕時計でしか見る事が出来ません。

バンドはコードバンドで自分の腕回りの長さに合わせるのが簡単で、自分で調整できるのが利点です。

このタイプの腕時計は防水機能が付いていませんので注意が必要です、一滴でも水が入ると機械に錆が発生しダイヤルも駄目になります、万が一ガラスが曇り始めたら水が入っ証拠です、即刻購入したお店に相談して下さい。

 

この腕時計も博物館建設後展示予定です。

時計は実に面白い。

 

 

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