VOGAウオッチミュージアムの建設 その5

なぜか追い風が吹いてきた

悩み続けていたある日、懇意にしている不動産屋の知人から、「広島のマンションを買いたい人がいるけど売りませんか」と電話があった。

売却を頼んでいたわけでは無く、なぜ悩んでいる時にこうもタイミングよく電話があるのだろう?タイミングが良すぎる、人生何でもそうだが、動かないと何も起こらない,グズグズ悩んでいても何も進行しない、渡りに船と売る事にした、それと同時に保有してる株も上昇を始めていった。

 

何が何やら分からない、どんどん追い風が吹いて来る、時計達が日の当たる所に移る為に、後押ししているのだろうか?

何かの力が動いている、私の知らない所で得体のしれない何かが動いている、そうとしか考えられない、なぜタイミングよく動き始めたのだろう。

利益が出た株から売却を始め、用意出来る建設資金の総額が、思ってた以上に多くなっていたが、肝心の建設用地が決まっていない。

 

ある夏の暑い日、江津市(ごうつし)に用があって出掛けた、浜田市から江津市に行く途中に、中国地方最大のアクアス水族館がある、その脇に閉店したコンビニ「ポプラ」があり、その前には大きな砂浜が広がり、島根自然公園に指定された波子(はし)海水浴場がある、秋から冬は荒波を求めて多くのサーファーが集まる、絶好の観光地なのだがなぜか誰も店を出さない。

いつも勿体ないと思いながら通過していたら、コンビニに売りますと張り紙がしてあった。

目を疑った、即懇意にしている不動産屋にすぐに電話を入れた。

購入した波子のコンビニ跡地↑

用地の確保が出来たが、、、。

 追い風に乗れる様、すぐに行動に移したのがよかったのか、用地購入はスムーズに行った。

購入した土地は500坪、コンビニを取り壊し更地にしてから、博物館を建設しよう。

何度も下見に行った、太陽の向きや風向き、建物をイメージし国道からの進入路、駐車場の位置など大まかな配置を決めていった。

展示するスペースはどれくらい必要か試算を始めた、時計の展示を500本に限定し間隔を20cmにした場合、必要な長さは100m、ショーケースを2段にしたら、ショーケースの長さは50m、両サイドの壁にショーケースを置き、中央に平台のショーケースを5台置いたら、長さ20m、幅6mの展示スペースで500本は展示出来る。

必要な展示スペースと受付、事務所、トイレを設置した場合の大まかな建物をイメージし、全体の建物は博物館にふさわしい設計を専門家にしてもらう事にした。

土地や建物は自己資金で何とかなるが、開館後の人件費、固定資産税や光熱費などの経費は、時計博物館の入場料でやっていけるのだろうか?

建設が現実味を帯びてくると、不安が付きまとった、博物館建設を決めてから何度も試算を繰り返してきた。

切符販売と管理を兼ねた人の人件費、固定資産税、光熱費、セキュリティー代、ゴミ代、火災保険、固定電話代等々で年間360万は掛かる。

入館料を500円にしたら年間7600人が必要になる、1000円でも3800人を見込めないと赤字になる、東京ではまだしも島根では無理がある。

入場料だけでは維持管理費に無理があると結論を出した、入場料以外に収入を見込める物を探す必要があった。

入館者の休憩を兼ねてカフェを併設し、飲み物と軽食を出し、ドッグランも併設したら、何とかやっていけるかもしれない。

オープンカフェとドッグランを併設すれば、夏場の海水浴客やアクアスからの家族連れを呼べる可能性が出て来る、敷地は十分にある余分な資金は株価上昇分で何とかなりそうだ、可能性に賭けるしかない。

博物館はリピーターが望めないが、カフェはやり方次第でリピーターがある、何か光が見えてきた。

設計見積もり依頼

設計依頼は2社を選んだ、1社は幼馴染が務めている大手建設会社、もう1社は個人住宅で定評のある建設会社を選んだ。

建坪は70坪で税込み6500万の予算で、博物館に40席のカフェを兼ね備え、周りにドッグランを併設した、大まかなデザインを頼んだ、正直に2社にお願いしたので、良いデザインを採用する旨を伝え、話し合いを始めていった。

大手の建設会社には多くの友人がいる、博物館建設の話をすると、設計の話より私を心配してくれ、皆口をそろえて止めた方が良いと助言をしてくれる、何度も自問自答しやると決めたのだ、生半可な気持ちで博物館を建設するのではない、助言は受け入れない、それよりいい博物館の設計をして欲しいと頼み込んだ。

個人住宅に定評のある建設会社にも同じ条件で、設計見積もりを出してもらった。

続く

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その4

誰にも理解してもらえない

 

誰にも理解してもらえないが、やはりこの子達を日の当たる場所に戻してやろうと思った、時計ビジネスで築いたお金を全て叩いても日の当たる場所を作ろう、それが時計への恩返しだと決意した。

 

決心してから苦悩が始まった、時計ミュージアムはビジネスではなく、後世に時計の歴史を残す事が目的で、儲かるか儲からないは別問題だった、しかし赤字が続けばいつかは閉館になってしまう。

銀行から建設資金を借りてしまうと、儲かる事業ではないので返済が滞るだろう、借金無しで建設すれば何とか維持が出来るかもしれない。

 

津和野と違って、土地の購入から建物の建設と膨大な資金が必要となる、資金は幾ら用意する事が出来るか、それによって規模が決まってくる。

貯蓄と広島に所有しているマンションビルや株の資産を計算していった、それらを売却した場合幾ら用意ができるのだろ、現実に計算をしていったら、ほとんどの資産をつぎ込まないとならない、そうすれば厳しい老後が待っている、止めた方が良いよともう一人の私が言い出した。

 

今まで経験してきた事業とは全く異なる、始めから手出し覚悟の事業になる事は目に見えている。

悩みに悩んだ、自分の老後を取るか、冷や飯を食べても時計達を、日の当たる場所に移してやるか。

止めろと言う私と、やれと言う私との戦いは毎日続いた。

時計達を引っ張り出しては眺め、お前たちどうしてもらいたいと問いかけた。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その3

VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その3

「すべて寄付するから塊りで残して!悲痛な叫び」

 

博物館建設は頓挫したがコラムは続けて書いていた、屋根裏から時計を出し1本書いては又戻していった。

 

段々悲しくなってきた、なぜこんなに買い集めたのだろう?他の人の所に行っていたらもっと使ってもらえたのに、私が買ったばかりにひどい扱いをしている、ひどい扱いをしている自分が嫌になってきた。

友人のロータリー会長の所に相談に行った、会長は顔が広く市長に相談に行ってくれたが、中々理解してもらえない、それもそうだ、アンティーク時計は市長とはいえ、博物館を作る程の魅力が無いと判断されるのだろう。

 

収集してきた時計達の為なら全て寄付するから、まとめて後世に残して欲しいと言ったが、お金なら受け取りますが、物はいらないと断られてしまった。

サブマリーナ一つをとっても、どの様に進化していったか、世界広しと言えど一か所で全てが分かる事はあり得ない、懐中時計から腕時計へと変わり、時代の変化と共に腕時計もどんどん進化していった、それが1か所で分かる。

珍しいアンティーク時計達は、どんどん市場から姿を消し価格もウナギ昇りで上がっている、収集家の手に渡ったら、2度と市場に出て来る事は無いだろう、写真では見る事が出来ても現物は見る事は出来ない、現物を見る事が出来るのも大きな魅力なはずだ、どんなに説明しても塊りである事の魅力は伝わらない。

この子達をどうしたらいいのだろう。アンティーク時計に興味がある人以外は、理解不能だった、どんなに説明しても無駄と悟った。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか その2

「博物館の発想は知人からだった」

弁護士の知人が家に来た時、時計達を見せたら数と質に驚き、これだけあるなら博物館を作ったらと言われ発想に驚いた。

 

そうか博物館に収集してきた時計達を展示したら、屋根裏に死んでいた時計達も日の目を見るし、島根の新たな観光資源として役に立てるかもしれない、頭の中は博物館建設に向けて思考回路が動き始めた。

 

人を呼べる程魅力ある時計達なのだろうか?建設費は?建設資金はどこから?建設場所は?建設後の維持管理は? 大まかな事が瞬時に頭の中をよぎっていった。

 

思考回路が止めろと言い出した、これは個人レベルで出来る事業ではない、どう考えても無理だ、建設は諦めた。

 

数か月後知人の弁護士から「安い物件が出ました、大きなビルで博物館にしてはどうでしょうか?」と声が掛かり、ビルの下見に行った。

 

場所は山陰の小京都と言われる城下町津和野町だった、津和野はかつて観光地として随分栄えた町で、ビルは当時レストランとして利用されていた、1階はお土産店、2階と3階は大型レストランで、神楽舞のステージが付き席数150のビックリするほど大きな建物だった。

 

 

これだけ大きな建物だったら展示スペースは十分ある、1、2階を改造して展示場にし、落ち着いてから3階の利用方法を考えようと思った、ビルは古く既に雨漏りが始まっていた、これは早く修繕しないと益々ひどくなる、早々修繕の見積もりを取る事にした、建設会社の方と一緒に何度も津和野に出掛け、修繕箇所の確認をしていった。

 

時間があると津和野まで何度も足を運び、店舗をどう改造しどうすれば魅力ある博物館になるかイメージしていった、数日後見積もりが出た、修繕費だけで2000万を超えた、屋根瓦が古く全部葺き替えた見積もりだった、雨漏りがしている場所だけやり替えた場合の見積もりをもう一度出してもらった、1200万まで下がった。

 

金額を聞いて一気にやる気が出て来た、これなら個人でも何とかなる、知人の弁護士に博物館建設に向け実行する旨を伝えた。

 

知人は動き始めてくれたが、ビルの持ち主は破産し持ち主は銀行に移っていた、話が一から差し戻しになっていた。

 

話し合いが長引けば雨漏りしているビルは益々劣化が進む、とうとう年を越した、博物館建設は頓挫し諦めムードが漂ってきた。

 

冬を越し、春が来た、もうビルはひどい事になっているだろう、諦めた。諦めた旨を知人と建設会社に告げた。

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VOGAウオッチミュージアムをなぜ建設したのか。その1

「可哀そうな時計達」

 

1981年、アメリカに渡り偶然出会ったアンティーク時計の魅力に惹かれ、アンティーク時計の収集を始めましたが、今と違いネットが無い時代で、誰も市場価格が分からず、売る方も買う方も随分大まかな売買をしていたのです。

 

 

ロレックスのサブマリーナだと、リューズガードが有るか無いかの判別だけけでした、ジェームスボンドやミラーダイヤル、テキシタルダイヤルなど細かな事は誰も気にしてなかったのです、ガード無しは型落ちでどれも同じ値段という今では考えられない時代でした、地方に行くとお爺さんが売れ残った50年代の箱付未使用品を、当時の定価で売っていたり、それが当たり前のおおらかな時代でした。

 

収集を始めた頃買った時計達の中に見た事が無い時計達は偽物だと思い、見るのも嫌で段ボール箱に入れていました、サブマリーナの表記が無いRef6205は、収集家から5本まとめてでないと売らないと言われ、この時計はいらないと断ったが、他の4本はケチのつけようのない見事な時計達だった、5本の値段が安かったのでまとめて購入しましたが、この時計は偽物として段ボール箱行きでした、チュードルの初期型手巻のサブマリーナは、ガラクタの中から見つけましたが、手巻のサブマリーナなどあり得ないと思い、部品取り用に購入しました。

 

コラムを書く様になって、長い間放置してきた時計達を1本1本調べ始めました、随分昔に買った時計達は長い間見る事もなく、ひどく懐かしかった。

この時計はフリーマーケットであの人から買った物だ、この時計は交渉に随分手間取った時計だなど、時計と共に昔の光景が目に浮かんできました。

 

 

思い出に浸りながら、コラムを書き終えた時計達は又屋根裏に戻した、可哀そうだと思った。もし収集を始めた80年代にネットが既にあったら、こんなに収集出来なかっただろう、知らず知らずの間に、これだけ質の良い時計達を沢山集めてしまった、屋根裏に戻しなら後悔し始めた、これらの時計達をどうしようか悩むようになりました。

続く

 

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